『組織文化とリーダーシップ【原著第5版】』序文
A5判・424ページ
定価 本体4091円+税
E.H. シャイン/P. シャイン 著
宇田 理 監修・監訳 藤原 七重/山本 崇雄 監訳
2025/03/31 出版
ISBN9784561237358
白桃書房
この『組織文化とリーダーシップ[第5版]』は,シリコンバレーの中心にあるカリフォルニア州パロアルトで書かれた。第4版のときとは違う場所,まったく異なる時代に執筆していることを痛感している。現在私は,四半世紀にわたるシリコンバレーの変化のなか,テック系企業で,様々なリーダーシップと組織文化を経験してきた息子と一緒に仕事をしている。私がマサチューセッツ州ケンブリッジで第4版を書いていた2008年に経験したことと,現在暮らしている西海岸での状況がどう違うかを的確に伝えることは容易ではない。
私は,今回息子ピーターが第5版の執筆に関わり,我々が感じていることの一側面を言語化してくれたことで,過去数十年の間に「組織文化」の概念に生じたいくつかの変化を提示でき,嬉しく思っている。ピーターの洞察力と過去数年にわたる共同作業によって,私は,全体像としての森を見失うことなく,多様な文化を帯びた「木々」のなかを,なんとかうまく進んでいくことができた。
第5版で新しく付け加えた部分に関しては,ピーターが書いた「まえがき」が大いに参考になるはずである。しかし,そのまえがきを読む前に,私が考えていることが第5版でも基本的に変わらないこと,とはいえ,ある意味では異なってもいて,「新しい」ものであることについて少し触れておきたい。文化をどう定義するかとその考え方についての3つの階層(レベル)から成るモデルはそのままで,依然として,文化を包括的に分析するための確固たる枠組みとなっている。新しい面があるとすれば,この考え方を多文化世界という全体像にも適用しようとしたことである。そのため,ひとつのケースとしてシンガポールの経済開発庁に関する私の研究を付け加え,それに続けて,国や職業といったマクロカルチャーの影響を分析し,あるマクロカルチャーのなかで働く際に生じる問題に関する2つの章を挿入した。私はこれまで,あらゆる組織文化が,その組織文化に影響を及ぼす,しばしばそれより大きな別の文化に内包された入れ子構造になっていること,また同様に,あらゆる下位文化(サブカルチャー),タスクフォース,作業グループも,それらに影響を及ぼすより大きな文化に内包された入れ子構造になっていることを強調してきた。そして,どうすれば国家や民族間の文化の溝を越えて働き始めることができるかの議論を重ねてきた。
こうした話はこれまでも強調されてきたが,第5版では,我々が社会に適応していく経験を通じて,多様な層からなる文化がどのように個々人に根付いていくのかに意識的に焦点を合わせている。我々は,自分たちの内なる文化を理解しなければならない。なぜなら,それらが,我々の行動を左右すると同時に,様々な社会の状況に誰が関与するかを決めるものだからである。こうした選択が「パーソナリティ」や「気質」に左右されるケースは限られており,むしろ,社会化していく経験のなかで学んだ各人の状況理解に依拠している。そ
れゆえ,今回,誰もが成長の過程で学んできた社会的な「人間関係のレベル」の説明を,リーダーシップの選択の重要な要素として導入した。我々は,公的な場でも個人的にも親密にもなりうるし,状況に応じて行動を変えることができる。まさに,自分たちの内なる文化を認識しマネージすることが,リーダーシップを発揮するための重要なスキルとなるのだ。
私は,文化という概念によって,社会における我々の行動パターンが理解できることに,長年惹きつけられてきた。そのため私は,(1)複数の文化の局面を選び出し,(2)それらを様々な種類の望ましい結果と結びつけ,(3)文化の問題だと主張するような近年の研究の大半を無視してきた。そんなことは
分かり切ったことだと思っていたのだ。しかし,国家や組織で見られるパターンや次々と表出する多様な文化類型を解明することに関心が集まっている昨今,それらを第5 版で再検討し分析する価値があるだろう。この件については,定量的な診断研究とより定性的な対話型診断プロセスとを区別し,息子の助けを借りながら,最近の「手短な」診断方法のいくつかを検討することが重要になる。
私が重要視するのは,グループで学習する文化,リーダーシップと文化形成がいかに表裏一体をなしているのかを説明すること,そして,組織が成長し成熟するにつれリーダーシップの役割が変化するという事実である。こうした論点はいままで通り本書の中心をなす。冗長かつあまり関係のない部分をカットして全体を短縮し,また読者へのアドバイスを付けて興味深く読めるようにした。
私は,文化は真剣に取り組むべき課題であるが,実際にそれを観察し,研究し,理解しようとする場合にのみ有益なものになると,信じ続けている。
エドガー・H・シャイン