ビジネススクール教授が語るエドガー・シャイン 三谷宏治さんインタビュー

変革・支援, 組織, 著名人が語る魅力

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 IMG_0692(1)シャインの業績は現実のビジネスの世界にどのような影響を与えたのだろうか。ボストン コンサルティング グループを経てアクセンチュア戦略グループの統括を務めた後、現在は教育分野を中心に活動し、『経営戦略全史』『ビジネスモデル全史』の著者としても知られるK.I.T.虎ノ門大学の三谷宏治教授に経営コンサルタントの視点から見たシャインについて語っていただいた。

シャインは経営者と働く個人に有用な「ツール」を与えた

―― 三谷さんのご著書『経営戦略全史』のなかにシャインの業績を位置づけるとしたら、どんな位置になるでしょうか。
三谷 経営戦略論の大きなスタンスとして、ポジショニング派とケイパビリティ派があります。ポジショニング派は「外部環境が大事で、儲かる市場で儲かる立場を占めれば勝てる」とし、ケイパビリティ派は「内部環境が大事で、自社の強みがあるところで戦えば勝てる」と言い、お互いに自分たちが正しいと主張しています。いずれにせよ、企業にとってはどちらも強くしていく必要があります。

ケイパビリティのなかには「人」の話があり、そのなかでも「社員とアルバイトの人員構成をどうするか」といった仕組みの話と、「みんなのやる気をいかに高めるか」といった話があります。シャインの位置づけはこの後者にあたります。

経営戦略論とは極端にまとめると「こうすれば勝てる!」という話です。シャインがそれほど企業の競争に興味があったとは思えませんが、企業や組織をよりよくしたいとは思っていたはずです。結局、シャインの研究は経営戦略論ではなく経営論であり、経営者に対して「人や組織を強くするための考え方とツール」を与えました。同時に、個人に対しては「こういう風に自身のキャリアを考えるとよい」という寄る辺を与えたのです。

―― シャインが三谷さんのご出身である経営コンサルティングの世界に与えた影響はあるでしょうか。

三谷 シャインのプロセス・コンサルテーションを事業にしている会社は何社もありますよね。経営戦略コンサルティングという領域においてもその影響はもちろん大きくて、コンサルタントも「戦略の方向性を打ち出すだけではだめで、顧客が自分たち自身で実行できるようにしていかねばならない」との考え方にもつながっているのです。実際、ここ数十年、日本の経営コンサルタントたちがやってきたことは、単に「答え」を出すことではなく、クライアントと一緒に答えを出すことやいかにクライアントのチームメンバーを巻き込むのかといったことでした。そのゴールの1つは「お客様のプロジェクトメンバー自身による最終報告プレゼンテーション」です。これは、そのメンバーが社長に対して「自分はこれについて責任を持ちます」と表明すること。本人は大変ですが、プロジェクトの評価を上げ、実現への大きな助けとなります。戦略コンサルタントの価値は「業績向上につながる戦略立案」なのですから、プロセス・コンサルテーションは必須ともいえるのです。

―― 戦略コンサルタントというと戦略を描く専門家たちというイメージをもっていましたが、実際の仕事はそれだけにとどまらないんですね。

三谷 日本の企業は、そうでないと動いてくれません。アメリカだったら動くんです。幹部やコアの社員はみんなMBAを取得していて「外部環境がこうなっているから、我々はこうしなければならない」とトップダウンで打ち出せば、みんなそちらの方に動きます。

そういう意味では、アメリカからプロセス・コンサルテーションという考え方が出てきたのは面白いです。ある意味、トップダウンの否定なわけですから。アメリカでも先進的な大企業はそういうテーマに真面目に取り組んできた、というところに、アメリカの凄さを感じます。

シャインの考えをどう活かすか

―― 現在の日本人、日本企業にとってシャインの論考を活かせるとしたら、どのような部分でしょうか。

三谷 どれも活かせますし、活かすべき時期に来ているといえるでしょう。日本ではここ10年、ようやく人材の流動化がはじまり、大企業でも一生同じ会社にはいられないという状況になってきて、シャインの「キャリア・アンカー」や「キャリア・サバイバル」の意義が増してきました
また、経営環境の変化に合わせて会社を変革しなければいけないとなれば、ダメな原因となっている旧来の「企業文化」を変えなければなりません。新しい会社や組織を興すときでも、どんな「組織文化」をつくるのかを考える必要があります。そこでは当然、シャインの考えが役に立つでしょう。

見方を変えると、ようやく日本企業を取り巻く事業環境が数十年前のアメリカと同じになってきたといえます。昔から経営のキーワード自体はあまり変わっていません。たとえば『経営戦略全史』でも書きましたが、「グローバル化」はもう40年ほど前から言われている話で、それをようやく日本でも真剣に考える時期に来た、ということなのです。

―― シャインが生み出したキャリア・サバイバルやキャリア・アンカーという考え方を、改めて経営戦略論な視点から見ると、どうでしょうか?

三谷 シャインはある意味、万能の巨人です。「キャリア・サバイバル」は与えられた環境に対してどうケイパビリティを合わせていくのかというポジショニング派のようで、そして、「キャリア・アンカー」は自分が譲れないことに合わせてよい市場をさまようケイパビリティ派のようです。キャリアの分野でシャインが一人で「ポジショニング派対ケイパビリティ派の争い」を展開しているようで面白いです。そして結局は、「両者をセットにしないといけない」といっているところは、ヘンリー・ミンツバーグの「コンフィギュレーション派」とも重なります。

シャインとピカソの共通点!?

―― 『経営戦略全史』ではところどころに経営学の大家たちによる架空対談が挟まれており、とても面白い読み物になっています。もし、シャインに架空対談してもらうとしたら、相手は誰になりますか。

三谷 考えられる候補は3人で、1人はいま挙げたミンツバーグです。ポジショニングとケイパビリティの両方を見ようとする考え方をとったという点で、シャインと非常に似ていると思います。

2人目は『組織は戦略に従う』で知られるアルフレッド・チャンドラーです。実はこの本の原題は『Strategy and Structure(戦略と組織)』であって、チャンドラー自身は「組織は戦略に従う」とは言っていません。1989年版の序文でチャンドラーはもともと『Structure and Strategy(組織と戦略)』という題だったが、編集者がそれでは売れないということで逆にされたといっています。日本で出版した人たちはさらにそれを強め、『組織は戦略に従う』というタイトルにしたのです。

しかし、チャンドラーが言いたかったのは「組織と戦略は相互に深く関わる」でした。要は組織がこうなっているから戦略はこれを採用するのがよいとなる場合もあるし、その逆もあるということです。そして、シャインも「組織と人は相互に作用するものだ」といっているところに共通点があります。

―― 最後の1人はどなたでしょうか。

三谷 経営学者ではありませんが、パブロ・ピカソです。ピカソは古典派からはじまって青の時代、バラ色の時代、キュビズム、新古典派と10代から50代の間にずっと試行錯誤を続け、56歳のとき「ゲルニカ」を生み出しました。長命だったピカソはさらにその後も、90代になっても作品を描き続けました。どの時代においてもピカソは最高と評されましたが、彼はそれを自ら否定したわけです。「天才であることを否定し続けた画家」という言い方もありますが、一つの業績や到達点で満足せず、革新を求める。そういう意味で、シャインはピカソ的と言えるかもしれません。

―― 『経営戦略全史』の読者にシャインを勧めるとしたら、どんな点でしょうか。

三谷 持続的競争優位を築くには、つまり長期的に成功したかったらビジネスモデル全体を変えていかないとダメです。それが何を意味するかというと、ターゲット、バリュー(提供価値)など一部分だけを変えるのではなく、ケイパビリティをも変えていかねばならないということで、そこではシャインの考え方が役に立ってくるでしょう。

シャインの考え方を経営者が理解するということは、一人ひとりの従業員の視点を持つことでもあります。従業員たちからその会社はどう見えているのかを考えられるかどうか。加えて経営のオープン化という潮流を踏まえれば、会社の外側で関わっている人たちのキャリアにとってもこの会社の価値はあるのか、という視点を持つ必要があるのです。

それをいま、もっとも強く打ち出しているのはヤフー(ジャパン)社長の宮坂学さんかもしれません。『爆速経営 新生ヤフーの500日』のなかで彼は、「人生のなかで社員の皆さんを支えられるのは20年、30年に過ぎない。みんな自分の人生全体をちゃんと考えるべきだ。その意味で、自分が主体となってヤフーという会社をどう使っていくのか考えましょう」とのメッセージを出していて、素晴らしいと思いました。

一見、「会社に頼るな」と突き放しているようにも見えますが、そもそも会社が社員を一生面倒を見てあげるなんてウソなのです。とくにベンチャーやIT系企業は「ちゃんと自分で自分のキャリアを考えよう」と伝えるべきです。それは同時に、そこで働く人たちの目から見て「この会社は自分たちのキャリアにとってよい会社になろうと思っているのだな」とのメッセージにもなるでしょう。

(聞き手 宮内 健)

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三谷 宏治(みたに こうじ)

1964年大阪生れ、福井で育つ。永平寺町立吉野小学校、松岡中学校、藤島高校、駿台予備校を経て東京大学理科Ⅰ類へ。同 理学部物理学科卒業後、ボストン コンサルティング グループ(BCG)、アクセンチュアで19年半、経営コンサルタントとして働く。92年 INSEAD MBA修了。2003年から06年 アクセンチュア 戦略グループ統括 エグゼクティブ・パートナー。2006年からは特に子どもたちを対象にした教育活動に専念。現在は大学教授、著述家、講義・講演者として全国をとびまわる。妻、3人娘と東京・世田谷区在住。K.I.T.虎ノ門大学院 主任教授、早稲田大学ビジネススクール 客員教授、グロービス経営大学院 客員教授。放課後NPO アフタースクール 理事、NPO法人 3keys 理事。永平寺ふるさと大使。

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